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B BOY PARK が20年の幕を閉じました。

B BOY達の聖地。長年お疲れ様でした。

 

MCバトルに出始めてヒップホップ界隈をうろちょろしだしたのが2010年頃。

自分とは無縁と思っていたんですが不思議なもので

2012年、楽団ひとり君のバックDJで出演したなーと逡巡。

光栄といいますか、ありがたい話です。

 

先日MCの諒君と偶然再会し(使ってる駐輪場が同じだったという奇跡)、軽く呑みました。

僕がバトル初勝利となった試合の対戦相手で、諒君は当日初参戦だったそうで。

そんな相手と酒を酌み交わす人生の妙。今思えば仙台予選なんかでも一緒だったよなーと。

2010年の戦慄MCバトル、勝ち負けに重きを置いてやってはいませんでしたが、しかしバトルはバトル。

もう辞めようか…と思ってた時の初勝利。

辞める気マンマンだった僕は「さぁぶっ殺してくれ!」とか言ってたはず…笑。

(同じようなラインを二回戦でも言っててこれが動画にも残ってるので恥ずかしくて観れない笑

でも正直な気持ちだったんだろうなーと、今となっては良い思い出です。愚直でした。

 

最近は非常に穏やかに暮らしていて、上記のような事もあり、そういえばBBP出たなー

なんて思い出したあたりから「あれ…、なんで俺こんな事になったんだっけ…?」と

まるで他人事のように思い返してみたり。

 

年始の「五文字以上〜」でKMCを呼んで、ジオラマもいて

その場で「2010年UMB東京予選」の話になって色々と言われたのですが

(その色々についてはかなり長文になるので割愛します笑)

今更あの涙の意味を説明するのも変な感じだし、曲にするのも難易度高すぎだし。

消えてしまった昔のブログか退会したmixiの日記に長々と書いていたような気がしますが

こうやって流れ行くものなのでしょう。

 

当時、何も無かった、全てを放棄していた自分にとってのターニングポイント。

ただただ新宿リキッドのあの場にいたかっただけ。そんな感じでした。

ソコに出られる保障も無いのにただただバトルに出まくっていた時期。

でも、求めてるのは、売名や勝利ではありませんでした。

この辺が理解されないのは重々承知です。

自分にとってのバトルは、「何を感じられるか」

「その日その時どんな景色が観られるか」でしたので。

(勝つためにやってたらもっと強くなってるし、

きっとラップもうまくなってるでしょ、普通笑。)

 

そしてその後のいきなりのDominator2011。

ハードコアでの過去の経歴ありきとはいえ、

今考えても色々とおかしいし、ツッコみどころ満載だなと。

一介のバトルMCがいきなりオランダのフェスとかどう考えてもおかしいし

自分の事ながらクスッと笑ってしまう感じです。

 

その頃、昔からの知り合い以外で国内ハードコア関係者とつながりはほぼ無かったし

周りのリアクションすらわからないままで、帰国後も普通にバトルに出てた記憶。

フェス出たからと言ってハードコアに復帰する気もありませんでしたし、

国内でブッキングなんて来ないだろうと思ってたので気にも留めて無かったってのが正直な処。

ハハノシキュウのレコーディングやリリースもありましたし。

 

なんか長ぇな…。

 

2012年春に沖縄でギグが入り、そこで一気にハードコア復帰への気持ちが高まったのは覚えています。

その年の夏に公式に復帰を宣言。色々と無自覚の度が過ぎていた感じもありますが、

今思うと2010〜2012年頃の自分って「どこにもいないひと」でとても自由だったなと。

 

今一度、「どこにもいないひと」に回帰する時が来たかな、なんて思ってます。

BBPの終幕から、あれ?俺なんでこんなんなったんだっけ?とふと思い

なんとなーく文章にしてみました。

 

今はスイッチが両方オフなので暫く大人しくしている予定。

 

しかしながら10月のギグは思いっきり暴れるつもりです、はい。では。

 

懐かしの映像

 


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